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孤盲猫を撫でる 3 ホモォの近代化 4 MW [歴史関係]

 戦後については極軽く。
 敗戦後の資料は近デジでは1950(S25)までしか検索できません。この中で唯一目についたものは『性的犯罪者』(1947:S22)で、この中に4-50年前、つまり明治の終わり頃は稚児の情話殺傷があったが最近はない、と言うことが書かれていました。三橋女史の話によれば、それでも敗戦直後には上野に男娼がおり、そこそこ活動していたとあります。
 カストリ雑誌を経て1960年代には『風俗奇譚』(これは正確にはSMを含んだアブノーマルな雑誌ですね)が存在していたことから、表現としてのホモォはある程度復権していたようです。60年代と言えば、東郷健がカミングアウトしたのもこの頃です。
 70年代は「性の解放」がうたわれた時代でもあり、リアルホモォの人も世に出てくる時代です。雑誌もいわゆるホモ雑誌創刊が相次いでいます。東郷が「おかまの東郷」と連呼したのもこの頃。そして左翼がおかまは病気、と東郷に噛みついたのも。80年代、一旦リアルホモォ側は下火になります。1981のHIV発見以降の風当たりによるものです。

 これら女装者やアブノーマル嗜好の集まりと全く違う、少年愛の流れがもう一つの潮流かな、と考えています。流れの濫觴にいるのは江戸川乱歩と稲垣足穂と考えます。特に稲垣の『少年愛の美学』(1968:S43)が日本文学大賞を受賞し、ブームの火付け役になったことが社会的に認められる最初の扉ではないかと。
 60年代森茉莉の「枯葉の寝床」などが栗本によって評価されるのは70年代に入ってからで、社会性を持ったという点では稲垣以後、以前、と言うように自分は考えています。ベニスに死すも日本では70年代です。これは個人的な見解であり、その渦中にいた方々から見れば「何言ってやがる」と言うことになりますが。やおいはCOM→ぐらこん→コミケ、と言う流れで生まれていくと思いますが、ここに何が影響したかというのは人によってまちまちで難しい。
 アメリカのSFとかファンタジーも同性愛のタブーから解放されるのは60年代だったかと思います。で一般的にスタートレックのスラッシュフィクションをやおいの始まりとするものが多いのです。が、どちらかというとあれはリアルホモォ、なところが多いと自分では考えています。現代のBLのリアリティの希薄さはスラッシュフィクションとは一線があるのではないでしょうか。ちなみにアメコミでは90年代まで確実にゲイだという人物は出てこないそうです。
 この後マンガでは萩尾望都・竹宮恵子が70年代に少年愛系のマンガを発表し、同時期に始まったコミケにははじめからこうしたやおいの原型が垣間見えると言ったところです。手塚が同性愛を本格的に取り上げるのもこの流れの中ですね。
 80年代、リアルホモォの下り坂に対し、やおいという形式は拡大していきます。
 現在のリアルホモォな皆さんと2次元BLに溝があるのはそもそも流れが違うから、ではないかと思っています。



 と言うことで、ざっと近代日本のホモォについて考えてみました。まとめるとこんな感じ。

0 幕末から現在にかけて、いくつかの流れが細々としかし連なって存在している

1 幕末、江戸では既に陰間は衰退していた
2 維新期に薩摩が持ち込んだ男色があり江戸の陰間とは違う流れとなる
3 薩摩の風習が学生や軍隊において機会的同性愛として明治期に存在するも末年には衰退
4 大正時代以降は「精神異常」的な扱いであり、社会的には珍しい猟奇的とされていた
4.5 大正末~昭和初に後の少年愛や文学的なそれの萌芽
5 昭和初期(戦前)には精神的な部分については反駁があったが、社会的には大正と同じ
6 戦後はゲイと仮想的な少年愛という全く違う流れが並立していると考えられる
と言うところでしょう。

 これは自分の記憶なので価値は低いのですが、上野のゲイ映画館周辺がハッテン場であったと言うことは記憶があります。そして江戸時代にこの辺に陰間茶屋があったこと、戦後もゲイのたまり場であったことから、ここがずっとハッテン場であったと見ていいでしょう。
 また、自分が高校生の頃(S50頃)、まだ戦前から教師をやっていたという豪傑がそこそこ残っていた時代ですが、この中にそれ系の教員がいて、担任したクラスの可愛い子を自宅に泊めてパーティーをしていました。また大学には折口の学派の正統的なゼミがあり、ゼミに入る基準が「可愛いか」。と、まことしやかにいわれていました。今はどっちの学校もそれ滅んでいると思いますが、少なくとも1980年代初頭、明治以来の学生間のホモォはその残滓を見せていたと思われます。
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 おまけ
 参考にした本
 『女装と日本人』(三橋順子:2008)
 『本朝男色考 男色文献書志』(岩田準一:2002)
 『少年愛の美学』(稲垣足穂:2005稲垣足穂コレクション5)
 『NASA/トレック-女が宇宙を書き換える』(コンスタンスペンリー/上野直子:1998)
 
 参考文献(近デジ所収)主なもの
 『男女生殖健全法』(1900)
 『川柳吉原誌:江戸研究』(1916)
 『神秘なる同性愛』(1920)
 『闘性術』(1928)
 『実話ビルディング:猟奇近代相』(1933)
 『性的犯罪者』(1947)

孤盲猫を撫でる 3 ホモォの近代化 のお話 3 南京路に猟奇の花咲く 何事も不思議なけれど [歴史関係]

 昭和直前に日本は関東大震災という天災に見舞われます。これがその後の歴史や文化に与えた影響は非常に大きく、わりとイケイケだった大正ロマンは、退廃的な昭和エログロナンセンスに移行していきます。勿論大正の段階で退廃的な兆候はあるわけですが、震災からこっち、政治的な混乱・経済の失敗の連続による不況・軍部の台頭等々、世情が後ろ向きに加速していた時代でありました。
 そして満州事変(1931:S6)-支那事変(1937:S12)-太平洋戦争(1941:S16)-敗戦(1945:S20)とずーっと戦争していたこの時期は、隔絶した男社会が社会原理になっていた時期でもあったのでした。ただし、それはわりと闇に満ちており「そういう話だった」という述懐が残っているばかりです。

 1926(S1)-1945(S20)
 この時期ホモォ、に関する記述のある書籍は1936(S11)で一旦見あたらなくなります。大きくは1934(S9)の出版による規制の影響と思われます。新聞記事では1935(S10)にジャワのバンチーに袖を引っ張られるというのがありました。
 やや横道にそれますが、大正以降ホモォに関しては支那や東南アジアには今(その時代)でも男娼がいる云々であるとか、パリやロンドンにいてホテルで誘われる、と言った記述をまま見ました。これは日本の方が文化的に進んでいて不逞の輩はいないんだというものではなく、洋の東西を問わずどこにでもいるもんだというものであるのですが、恥ずべきとしながら海外でのそうした行為には批判をしていないというダブルスタンダートが存在しています。
 さて。大正期には女装癖を含めたホモォはもう見せ物扱いというか、猟奇的な犯罪として新聞は扱っています。例えば1918(T7)女装癖のある男と同棲した男性の親が、相手(女装者)を化け物扱いする、と言ったものはその典型です。それに対して昭和初期のエログロの世界では微妙に扱いが違っていたようです。
 『闘性術』(1928:S3)という本では男色は精神異常ではないという西欧医師の記述を引用しており、ホモォに一定の理解を示しています。またこの本は男色は男と男なのに女色が何故男から女なのか、男色に呼応するなら女性のそれでなくてはならないのではないか?と言った事も書いています。闘性術に対し『日本民族恋愛史』(1930:S5)では江戸時代の男娼にふれ、当時の人は全て変態性欲患者(今でいうなら精神病患者、と言うところでしょう)であったと述べています。このように、立場の違う論が並立していたのが昭和初期でした。
 ちょうどこの頃江戸川乱歩が『孤島の鬼』の連載をしており(1929:S4)、岩田準一が『本朝男色考』の連載(1930:S5)をしています。エログロナンセンスという中ではありますが、ホモォに光をあてる動きがあったことは画期的なことだったと思います。また、『社会ユーモア・モダン語事典』(1932:S7)にはエス(今でいうレズ)・シス(同性愛)・陰間が収録されており、その行為の有無はともかく、話題としてあったことがうかがわれます。
 ですがこうした動きはやはり本流ではなく、最初に述べました通りホモォは「猟奇的で」「物珍しい」存在だったように思います。『実話ビルディング:猟奇近代相』(1933:S8)には男色趣味の華族の話があり、その相手の女装者のインタヴューが載っています。これはまさに猟奇的で物珍しい世相記事でしょう。仮名なので誰のことかは分かりませんが(棒、モデルがあるとすると京都の公家出身の華族ではないかと思われます。この華族が生来ホモォだったのか、学生・軍人時代にそうなったのかは不明ですが、上流階級にそう言う人間もいた、と言うことでしょう。
 1940年代はおよそそう言う記述は見つかりません。例えば『過つ少年工』(1941:S16)には、不良や喫煙・飲酒と言った話題は出てきますが、ホモォは微塵もありません。軍隊生活に関しても全くなし。女性生活についても『皇国女鑒』(1941:S16)に年中行事としてクリスマスを祝うという話題(?)がありましたが、同性愛のようなものは見られませんでした。無かったとは思われませんが、まぁ闇の中です。

さて、次回で最後。とはいえ戦後は自分と同時代のこととか、もう少し年齢層の高い人にとって同時代史であり、「それはちがう!」というお叱りがあるかと思いますが、そこは生暖かくご覧下さい。

孤盲猫を撫でる 3 ホモォの近代化 のお話 2 それは私のおいなりさん爆誕 [歴史関係]

 時は流れて大正浪漫。劇場の踊り子がマシンに乗って正義を貫き、帝都に悪魔が近づいている、そんな時代…のわけはねぇです。
 それでも現代社会において「大正」というのは政治・経済・天変地異・外交と言った切り口でも多く語られ、今なお文化と言う切り口では憧れを以て語られることが多いですね。ここのところは高度経済成長期がそれに近い語られ方をしますが。

 1912(T1)-1926(T15)
 さて、花村紅緒の先輩によって駆逐されていったホモォは大正時代をどう過ごしていたのでしょうか。既に明治末期には学生間のそれも下火になっていたところへまず1913(T2)、エビングの本『変態性欲心理』が再び出版されます。これは医療関係者以外にも相当読まれたようで、その後「変態」という言葉が一般化していきます。これ以前「変態」というと昆虫の変態などで使われるだけだった言葉が新たな意味を持ったわけです。
 ホモォへの風当たりは、この本の出版以降よりきつくなってしまったようです。そもそも大正時代は形式的ではありますが男女間の自由恋愛を赤裸々に語る、と言った時代であり、男性間の友情と愛憎を語るという事はやや憚られたのではないでしょうか。
 この時期には男女の性愛に関する書籍の点数が一気に増えており「いかに女性を口説くか」であるとか「性衝動の男女差」に関するものが多く見え、その男女間の恋愛の外側、異常なものの一つとしてホモォは語られるに過ぎない存在でした。人々の興味が色々なベクトルに拡散していたわりに、このあたりは医学にせよ文学にせよ、そう言う切り口ばかりでした。
 例えば『川柳吉原誌』(1916:T5)では陰間に関する川柳を所収しています。書籍自体は江戸回顧の機運の中で花柳界の文化を補完する動きだと思われますし、陰間もその文化の一端と認めていたわけです。が、収集したわりには陰間川柳を「言語道断の破廉恥な蛮風」と切り捨てています。
 『性生活と両性の特徴』(1920:T9)では同性愛(レズを含む)を後天的変態とし、思春期に現れやすいとしています。『神秘なる同性愛』(同年)では学生・囚人・船員・労働者・会社員・商店員・軍隊に同性愛があり、特に軍隊に多く、学生の寄宿舎は「病毒の潜伏所」としています。ホモォ(この場合女性の同性愛も含むようですが)は病毒扱いされていたのでした。
 『変態心理学講義録』(1921:T10)ではエビングの研究の問題点を指摘したり、ホモォが芸術分野に卓越していることを指摘しており、変態性はともかく不可思議だけど認めるという立場を取っています。また洋の東西の歴史的な例を引き、文化的な進歩の度合いにかかわらずこうした行為が存在していることも指摘しています。
 
 社会自体アインシュタイン来日に象徴される科学万能主義的風潮や、それのアンチテーゼとしてのオカルティズム、西欧至上主義に対し江戸回顧と、百花繚乱であったわけですが、ホモォはひっそりと裏街道を歩いていたようです。しかしこの頃江戸川乱歩がデビューし、その朋友でもある岩田準一が男色研究にのめり込んで、大正モダンが昭和エログロナンセンスへ移行していく胎動も起きていたのでした。少年愛、と言う部分では稲垣足穂がこの時代にデビューしています。
 
 ※岩田準一は竹久夢二の弟子で画家・挿絵師としての方が著名ですが、戦前唯一といっても言い男色研究家で、日本における男色関係書籍の収集研究をした人です。長くこの人の男色研究書(『本朝男色考 男色文献書志』:2巻合巻)は日の目を見なかったそうですが、2002に出版され、現在では入手困難ながら読むことが出来ます。

孤盲猫を撫でる 3 ホモォの近代化 のお話 0はじめに [歴史関係]

 とあるサイトを中心に 孤盲シリーズというのをやってたんで、その流れでこのお話はその3、になります。

自分の興味関心を欲望のままに適当なレベルで考えるのがこのシリーズの基本。
わかんないことは「わかんない」で、押し通すのが流儀。
論文とか論考ではないお話レベルなんで、穴だらけなのは目をつぶるとよい。

なおシリーズは

プレ等:朝鮮半島における稲作に関しての近代の諸相、等いくつか
1 日本建築における「塀」の歴史的変遷
2 近代総督府時代の朝鮮半島における衛生について
外伝 障子という日本文化のこと(引き戸文化というものがわりと日本独自であること)

と言ったことを扱いました。途中で先生に見つかりメメタァされたりしたり色々あったんですけどね。今回、そこを使わないのは純粋に日本のお話のため。

 さて、今回はホモォの近代化のお話。元々こういった文化の奥底のことはわりと興味があったのですが、たまたま友人が興味を持っていたと知り、ではちょっと見てみようかというわけです。
 
 今回の話題について先に申し上げておきますが、中の人は極めてノーマルです。こんな話を書くんだからそっち系の人だろうとか思われると困ります。今年理想の黒猫(メス)を得て、楽しく下僕生活を送っている、ノーマルな人です。ゲイバーとかにも何回か連れて行ってもらったことがありますが、繰り返しますがノーマルです。

…これくらい書いておいても、どこから何が出てくるかも分からないという恐怖はあります。まぁ、そんな話。

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 まず、基本的な理解

日本においてホモォは

1 日本書紀・続日本紀あたりの記述が最古
2 仏教の女犯思想の伝来と共に寺院でなされるようになる
3 平安時代公家(これは公家が出家していくことからだと思われる)・上皇などに拡がり、そこからまた武家に拡がったと考えられる
4 戦国時代は武将の男色が当たり前のものとして存在し(ていたとされる)、江戸初期から家光の時代くらいに大きく興隆した
5 江戸中期には弥次喜多がホモ友であるとか、好色一代男が725人男の子とやったなど文学でも普通に扱われるようになった。
6 江戸後期寛政天保の改革時には規制されていき衰退
7 明治維新後キリスト教価値観の流入によって急速に異端視され消えていった

というのが通説です。

今回のお話は

7以降、ホモォな人々は近代どう見られていたのか、どこへ行ってしまったのかと言った部分になります。


 参考にしたのは国立国会図書館近代デジタルライブラリー(近デジ)。ほかに多少の文献を当たっています。書籍としてはそのものとはちょっとずれますが 『女装と日本人』(三橋順子:2008)も援用させてもらいました。女史のお話はむしろ現代(戦後以降)に関するものが主ですが、非常に興味深いものです。また女史のHPも参考にさせていただいています。もちろん裏取りの出来る部分はなるべくしました。話題が話題なので、まとまった論考と言うものは見つけられませんでした。加えて、その時代その時代の文献でも基本的にはホモォは否定的であり、情報も多くありません。ですので、かなり想像で補完しています。ご理解いただきたく。そこまで突っ込んでやると歴史ではなく民俗学になるし。
 また、色々なタームが出てきますが、ホモォそのものは一般的には男色、もしくは広義にホモォと表現します。

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孤盲猫を撫でる 3 ホモォの近代化 のお話 1聖お兄さんは陰間を駆逐したか
1)
1868(M1)-1886(M19) 
 さて、まずは維新期から明治20年頃まで。そしてこの時代が最も闇に包まれていると言えます。そもそも、近デジにあった諸本(主に大正末以降ですが)を総合すると、すでに明治初年には職業的男娼、陰間というものそのものが衰退していたという記述が多く見られます。また、幕末の英国公使がそう言った男娼を見て野蛮だといった(これは出所が明らかでありません)、という記述も見つかりました。陰間も江戸期には女性を客にとっていたと言うこともあり、広く見ればこれらの男娼はホモォではないのですが、広く見れば明らかにホモォ。

 明治新政府はこれらの職に対してではなく、鶏姦という行為について1873(M6)改訂律令266条(鶏姦律)で禁止しています。鶏姦というのは肛門性交のことです。その前年に娼妓解放令、1876(M9)には売淫罰則と、女性の売春に関しては職業的なものとして規制をかけていますが、この中に陰間茶屋に関する記述は無かったと思います。これらの法令には子女という表現がありますが、明らかに対象は遊郭と女性にあります。
 すなわち、この段階で陰間茶屋という存在は、遊郭に比べ相対的に無視できる程度の存在であったと見ていいでしょう。維新期には武家の女性が多く春をひさぐようになった、と言う記述もあり、女性売春の方が西欧化と言う切り口からは非常に問題だったと思われます。
 その代わり鶏姦罪というものが設定されるように、強姦を含め男性同士のそうした行為があったことも間違いないようです。それを裏付けるものとしては1874(M7)・1879(M12)に法学的な見地から鶏姦のことを記述したものが残っていました。特に1879の「強姦検察法」では医学的な観察という観点で、突っ込まれたかどうかを確認する法的証明について説明がなされていました。ただし、後代の本では鶏姦とは何かということに関して、女性に対する鶏姦と言う記述もあり、すべからく男性同士の行為として意識されていたわけではないことを附記しておきます。

 いずれにせよ、この明治の初期では西欧化にとって女性の売春の方が重要な問題であったことと、男性同士の行為が残っていたことは間違いないようです。
 当時すでにホモォは「新聞記事」になるくらい珍しいものでありました。が、ここは若干問題がありまして、日本では識字率が高く一般大衆が新聞をそこそこ読んでいたということがあり、エキセントリックな話題を常に求めていたという問題があります。あれですね、どこぞのお偉いさんの奥さんが不貞したとか、目玉が三つある赤ん坊が生まれたとか、現代でいうと東スポ的なあれ。新聞記事だから丸々信用する、というのはちょっと危険ではありますが、そう言う話題になるくらい希少であったというのは問題ないでしょう。

 思想的な問題からも少し当たってみましたが、キリスト教を宣布するために男色を糺さねばならない、と言うものはなく、むしろ世相としては仏教側はキリスト教を揶揄し、キリスト教も揶揄し返すと言った関係しかなく、仏教は男色をしている!と言うようなものは見つけられませんでした。当時の仏教は廃仏毀釈の嵐の中にあり、神主に衣替えするものも多かったこともあり、それどころではなかったのでしょう。
 1886(M19)に「社会改良と耶蘇教徒の関係」という本が出ています。この中で筆者は「江戸時代に男女が席を同じくしないというのは幻想である」と、錦絵に描かれた男女をつぶさにカウントして証明しようとしています。何人人間がいて、男が何人、女が何人、並んでいるいないまで観察しています。結論として男女は並んでいろんな所に出かけている、としています。そして武家の中だけは儒学的な思想がはびこり男女間が正常なものでなくなっているとしています。どちらかと言えば、この本にあるように一般民衆は普通に男女関係を結んでおり、そこにキリスト教的男女関係の概念を持ち込むのはさして難しくなかったのでは無かろうかと思われます。

 後述することになると思いますが、大正昭和になると、古老の話として江戸時代の江戸にはもう陰間なんかほとんどいなかったし、興味を持つものもいなかった、それなのに薩摩の奴らがそうした文化を帝都に持ち込みやがった、と言う述懐がたまに見られました。漠然としておりなおかつ拠り所もないまま、維新期の江戸っ子は陰間というものをもう古いものと見なしていたとも思われます。
 そこにキリスト教を基盤にした西欧思想が入ってきたためそれを拠り所としてホモォを「過去の因習」としていった、と言うところがこの時代の社会一般だと思われます。
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2) 
 1887(M20)-1904(M37)あたりになると、まず社会の一つ動きが出てきます。
女学生なる集団の形成と職業婦人というものの発生です。勿論江戸以来女性労働者というのは養蚕や機織りと言った中で集団化していましたし、女大学と言った女性独特の教育概念もありました。しかし、良妻賢母の育成と西欧的女性教育という旗印の下形成されていく女学生と、医療や事務業務と言った西欧的職業婦人の発生は、日本の欧化の中で一翼を担っています。地位向上とかそう言うのは横に置いておくとして、確実に社会進出が図られていきました。
 しかし、内実はお粗末なところもありそれこそ現在と全く変わらず「女学生崩れ」がカフェーで女給に身を落とすなど言語道断、と言った話が出てくるのもこの頃です。

 またこの時期に日本の精神医学の世界では画期的な事件が起きています。
クラフト=エビングのPsychopathia Sexualis(初版:1886)の邦訳です。最も古い邦訳は1894(M27)『色情狂編』。これは政府から発禁を受けますが、後1913(T2)『変態性欲心理』として再訳され、以後こうした精神病理に関する基礎論考の一つとしてずっと引用されます。エビングはサドマゾや同性愛について最も早く研究した人ですが、カトリックの敵意を買ったことやフロイト学説が主流になったことで西欧では長い間低評価だったそうです。
実際、この後に出てくる日本の研究でもエビングを例にしながらも同性愛否定や同性愛が精神的なものであるとの立場が主流です。

 それでもエビングの邦訳が出てくるに至りホモォを「科学的に」考え、その上で善悪を議論すると言った状況がこの頃出てきたようです。実際には大正までその動きは活発ではありませんが、原著を読んだであろう医学者が鶏姦について述べています。

1 900(M33)の『医事断片』(田中祐吉)では鶏姦を悪しき例として江戸時代を批判し、なおかつ現在もその風習が残っているとしています。同年の『男女生殖健全法』(松本安子)では四国九州北国に鶏姦が残るとしています。また鶏姦律で激減したが、薩摩出身者が男色を兄弟のちぎりと言っているが、美男子ばかりを選んでいるのはどうか、と言うことに触れています。同じく『実用衛生自強法』では鶏姦が維新前にあったという古老の話を紹介しています。そしてこれらの書籍では鶏姦を手淫・獣姦と並べて論じていて、この時代の医学的見地から見た鶏姦はかなり危ないものとしていたことが分かります。手淫の弊害はキリスト教的概念でしょう。このあたり西欧の学説がそのまま流れ込んでいることが分かります。
 そしてこの段階でも鶏姦、特にホモォが薩摩人によって行われていたことや学生間にあったことも分かります。森鴎外の軍学校での貞操の危機もこうした時期のものでしょう。
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3)
 1905(M38)-1912(M45-T1)になると、鶏姦は陋習であるという記述やそれに伴う薩摩の風俗を断罪するもの、鶏姦で淋病になった13歳(数えですから小学6年くらい)の美少年を哀れむ話などが出てきます。この時期鶏姦は圧倒的に罪悪感のあるもの、と言うのが社会的な通念になってきていたと思われます。学生は学生同士清い付き合いであるべきと言った論調も見えます。ここに女学生の影響が垣間見えてきます。
 この時期の新聞記事に、明治40年頃までは不良の(学生)集団が男色を多くしていたが45年にはすでに下火になり、女性を引っかけたり盗みが中心になっている、と言うものを見つけました。学生間でも鶏姦が減少してたという事なのでしょう。
 ここは想像の域を出ませんが、学生社会が圧倒的に男社会であったため性欲解消がホモォしかなかった明治初期から、とにかくお付き合いできる女学生の登場でホモォでの解消が不要になっていった、と言うところではないでしょうか。軍隊はともかく一般的な職場ではホモォの出る幕もなさそうです。

 どうやら明治のホモォは聖お兄さんが駆逐したのではなく、花村紅緒の先輩が駆逐したようです。

 では、次回。大正時代を中心に考えます。終戦までいっちゃうかもしれないけど。

たらこの味噌漬け [実感]

たらこの味噌漬けというものがあり、カラスミのような味わいと聞き、作ってみました

たらこ味噌漬け1.jpg

製法は極めて簡単で、好きな味噌にガーゼでくるんだたらこを1ヶ月間ほど漬け込み、ある程度堅くなったというのを確認し(ぶよぶよしない)、味噌からあげて風通しの良いところで2・3日乾燥させると言うだけです。今回は赤白の合わせ味噌で挑戦。みりんや酒を足すとよいとあったのですが、結構水がでて、あとで水をだし塩を足しました。

たらこ味噌漬け2.jpg

これが断面

たらこ味噌漬け3.jpg

薄く切れました。結構ねっとりします。


味は「カラスミ」だと言われるとちょっとがっかりします。
食感は確かにカラスミに近いものです。ただ、味自体はたらこと味噌ベースです(当たり前ですが)。

ただ、魚卵特有の生臭さもなく、たらこのつぶつぶ缶がなくなったものと味噌を練り込んだ羮、というイメージであり、これはこれで非常においしいものでした。血圧はかなり上がりそうなものでした。もう少し塩を押さえるべきだったかも。

mixiの古い日記から転載してみる。 数え歌の記憶 [歴史関係]

☆昔から疑問だったこと

祖母*2(明治生まれ)・父(昭和一桁)、みな物故しておりますがこの人達が歌って聞かせてくれた「変な歌」がありました。就学前の頃なのですがなぜか記憶の強い歌です。

・にっぽんの のぎさんが がいせんす すずめ めじろ ろしや や○○こく くろぽときん きんのたま まけてにげるはちゃん×ぼー ぼうでたたくはいぬ△△し しんでもいのちがありますように 

最後までいくとはじめに戻るいわゆるしりとり歌です。当然意味は分かりませんでした。後々

・日本の 乃木さんが 凱旋す 雀 目白 露西亜 野○国 クロパトキン 金の珠 負けて逃げるは×ちゃん坊 棒で叩くは犬△し 死んでも命がありますように

であり、日露戦争を歌ったものであるのだろうと言うところまでは理解できました。そして、まれにラジオなどで自分より上の世代の人からかなり下の世代の人まで祖父母や父母に聞かされた記憶があることも知りました。また、いろんなバージョンがあるらしいことや、やはり日露の頃からあるらしい事など。書籍などに当たってきちんと調べるべきだとは思うのですが、先日ふと思い立ってGoogle先生に問い合わせたところ結構皆さん調べていらっしゃって、いろいろ面白いことが分かってきました。

まずこの歌には大きく二つの系統があること
A 出だしが「陸軍の」
B 出だしが「日本の」

次に出だしを除けば「金の珠」まではほぼ同じで、そこから伝聞のためでしょうか歌詞がいろいろ変わってきていること

代表的なのは

Cまけてにげるはちゃん***ぼう ぼうでたたくは**ころし シベリヤてつどうあるけれど どびんのくちからゆげはけば ばるちくかんたいにげていく くにをまもるはりくぐんの‥

Dまかろーふ ふんどししめた たかしゃっぽ ぽんやうり

※マカローフ(マカロフ提督)・たかしゃっぽ(高帽子)・ポンヤうり(ポン菓子売り?仲間はずれの瓜?)と思われます

の二つがあるようです。


面白いのは伝言ゲーム的に言葉が変化しているらしいこと。
「マカロフ」と言うところは「まめ豆腐」に変化したケースがありました。ロシア人の名前なんで、すぐ忘れられたんでしょうか。でもクロパトキンはそのままなんですね。同様に「土瓶の口から湯気吹けば」は、「土人の国まで撃ちませば」「土民の口からはき出せば」というケースもありました。

で、どうもこの伝言ゲームを遡ると一番古いバージョンは

・陸軍の 乃木様が 凱旋す 進め 目指せ 千里の陸路 ロシヤ ヤポンスク クロパトキン 金の珠 負けて逃げ行くチャン***坊 棒で叩くは犬*し シベリヤ鉄道長かれど どどんと大砲(おおづつ)火を吹かば バルチク艦隊壊滅し 死んで水面に沈みたり


ではないのかな、と言うところまで追えました。ネットで見かけた他のバージョンではどうしても文意が分からないものが多い中、このケースだけはおおむね軸がぶれていない。そして、最初の三語:次の三語、ロシヤ-ヤポンスク:クロパトキン-金の珠(日章旗の上の珠のこと?)というようにリズムごとにまとまりがある。ただ、どうも歌うときのリズムのせいでしょうか、早い段階で「千里の陸路」が落っこち、その関係でmeからroにつながなくてはいけなくなって「進め目指せ」が「雀目白」という鳥の名前に変化してしまったのではないかということ、金の珠以降に「マカロフ」のバージョンが発生したため(おそらくこれもバージョンの多さから早い段階ではないかと思われます)、その後ろがグダグダのパターンが多いのではないかと思われました。

実際にはどの歌が古くてどの歌が新しいのかも分からないわけで、推測ばかりですが。


最後にノイズが激しくなって、何を言ってるのかよく分からなくなっているバージョンを幾つか。



・日本の 乃木さんが 合戦す 雀 目白 ロシヤ 野*国 栗畑 剣の束 番頭さん 三遍廻って煙草の火 火の玉 たまげて逃げてくチャン***坊 棒でどつけば犬*し シベリヤ鉄道ないけれど ドボンと肥溜め落ちたれば ばあ様拝んで往生し 死んで御陀佛(おだぶつ)八十二

栗畑は多分クロパトキンの変化。剣の束は同様で金の珠なのでしょうが、股間の方の連想で変わったんでしょう。(私も股間の方だとばかり思ってました)


・陸軍の 乃木さんが 凱旋す 雀 目白 ロシヤ 野*国 クラボトキン 金ダルマ まーわーし 締めた 高シャボン 盆参り 


まわし締めたはもう原型すらとどめていません。これより古いのではないかと思われるものに前述の「マカロフ ふんどし しめた」というのがあるので、ここからマカロフが落ちたため「ふんどし」が「まわし」に変化したと思われます。


・‥いぬ**し 死んでもかまわぬ日本兵 兵隊揃ってトットコト 富山の三十六連隊 大砲一発ドーンドン ドンがなったら昼飯や(以下不明で り、にもどる)


36連隊は多分書いた人か歌った人の記憶違いか何かと思われます。

※文中の漢字は本当は全て不明。なので「きんのたま」は股間の方のものの可能性も否めません。
※文中不適切な表現は伏せ字にしてあります。文面や文意から考えると「××ぼー」と「いぬ××し」は対になっていると思いますが、何を意味しているかは不明です(棒。

※調べて面白かったののは、その当時の民衆の記憶に残りやすい部分と残りにくい部分の差が大きい、と言うこと。


埃をかぶっていたので [実感]

そもそもここはあんまり使う予定がなかったんだけど、いろんな連携を考え復活させてみようと思う。

‥スパムがほんの少し来ていたよ。スパムすらほんの少し、と言うところが味噌。

MobStrike [実感]

マフィアになって悪事をはたらきながら、組織を強くしていく無料ゲームです。このURLから登録すると、2人が仲間になった状態からはじめられます。 → http://mfga.jp/family/u3oien

悪いことができます。

LV1 スリ コンビニ強盗 ぽん引き 等
LV5 悪徳警官と取引 鉄砲玉 等
その他、ハイチギャングとの抗争 密輸 等々
(実はまだ最高Lvでないので他に何があるのか知らないのも多数)

上記URLから登録してもらうと同じシンジゲートになるらしいんです。
で、シンジゲートが大きくないととても弱くて。せめて4人以上の組織にならないと他の組織との抗争もままならないのです。

1基本
基本的には 体力の続く限りお仕事-武器や装備を買う-上がりを稼ぐための投資をする-喧嘩に行く

と言った流れのゲームです。集まって何かするというタイプのものではないので、もしよろしければぜひ。

2ファミリーの効用
このファミリーって何につかうかと言うと、攻撃力、防御力の計算式は教えたもらったところ

(自分のパラメーター*ファミリー)+(自分の持っている装備の強い順からファミリーの人数分抽出)

という数は力理論。  人が集まれば集まるほど強い、ごろつき集団になれます。多分。4人以上になると酒場が経営できるので、ぐっと楽になります。とにかく友達を増やすと有利になります。
分かりやすくいうと、参加しているファミリー分の最強兵器を用意しておくと、いい、ってことですね。

ただし、人は集めてくる必要があるんで、ちょっと大変。人数が増えるほど暴力が振るえます。
あと、しばらくするとボスへの依頼、と言うのが使えるようになりますが、ここのリマークを20になるまで取っておいて、ボスに人数を増やしてもらう、と言うのを選ぶのが一番。Lvがあがるとマフィアも大きいところばかりなので、それをやらないとどんどんどつぼにはまると思います。

攻撃 防御 健康 体力 スタミナ と言う5つのパラは
体力>>>攻撃>防御>>健康>スタミナっていうところじゃないかと。スタミナは攻撃的でない限り、5-8もあれば十分じゃないかと。

喧嘩に行かない人はあんまりスタミナに振る必要はない。人数が多ければ多いほど襲われにくくなると思いますので、ぜひぜひ。っていうかもう襲われっぱなしで打開策として助けてくださいませませ。
離席(寝るときも)の銀行貯金、健康はこまめに戻す、ってのさえ心掛けておけば、悪の華が咲かせられます。

3TIPSあれこれ
TIPSとして、抗争に出たとき、勝った相手はチェックしておいて、ホームから抗争情報をたどって捜して再戦すると、わりと勝てます。あと、抗争するとき、自分の所の人数より多いところと戦ってもあんまり勝てません。(上記計算式から)なので、自分のチームより少ない人数、かつ、持っている武器が安っぽい相手がいたら狙い目かも。

基本抗争に出ると同じLvの相手しか探せないんだけど、抗争履歴からなら、相手が弱いまんまでも抗争できるんですな。

抗争自体は11:00-14:00あたりと22:30-01:30頃に集中しているように思えます(この時間帯は鯖も重い)。です
ので、この時間帯にはお金を持っていないようにするのがコツ。

3-1ドロップアイテム
なんに使うかよく分からないものが多い上、パラアップになるのかも分からないのですが
今のところ分かっているドロップアイテム

45口径リボルバー…ちんぴらLv悪徳警官と取引
戦術ショットガン(ボウガンみたいな奴)…ちんぴらLv鉄砲玉
半自動ショットガン?…ソルジャーLvハイチとの抗争
焼夷弾(石油)…ソルジャーLvタンカートラック
自動ライフル…ソルジャーLv脱獄幇助

3-2そのほか
エナジーパックはここぞと言うときに一日一回使える。よほどのことがない限り誰かに送る必要はない、と思う。

資産運用は結構重要。LVアップで買えるもの(武器・防具・移動手段)がすぐ毎時コストを消費するものになるため。

で、最初に空き地を買わないと、何も立てられない。空き地はひとつ買って次に何かを立てるまで2個目を買う必要なし。4人以上のグループになっていれば、最初にする資産運用は

郊外の空き地を買う(5000)→酒場を建てる

この酒場だけは初期購入が8000に対して、時給がでかく、すぐ元が取れる唯一の資産。これを持っているだけで、かなり運用は楽。というか今まで買えなくてかなり凹んでいました

運用地は2件目から値段が上がるため、価格に対しての収入が悪くなるので、基本的には1件ずつがいいんだけど、Lvがあがると急激に値段も上がるので、状況を見ながら2件目を買うのもあり。(お金を銀行に入れておいて、どかんと買う方がいいとは思うけど)

あと、再度言うけど、ボスへのオファーはファミリーを増やす(20)以外に使わないこと。これは絶対。

4パラのこともう少し
お仕事をしていてお仕事Lvがあがるとき(+1)、経験値が次のLvになるときに(+5)、パラ+ポイントゲット。
基本は行動するためのパラに振ってあげないと、先々大変。あと攻撃防衛。でもこの攻撃防衛は仲間を増やすことによって飛躍的にあがるので、そっちを考えた方が賢いかも。スタミナはほんの少しづつ増やせば充分。

健康が0になるとかなり痛い。健康20以下だと抗争に出られないらしい。でもLvアップすると(仕事などで)健康などのパラが全復活するので、Lvアップ直前は健康回復より、経験値を稼ぐ方がよい。結構序盤はこれでお金の節約になる。

4-1お仕事で得られるポイント
仕事Lvは最大LV3 らしい。(それ以上あがらないみたい)
よって仕事で得られる+ポイントは3 寝る前にちょっと経験値を稼ぐにしても考えて行動するのがいい。

5ゲームとして
いくつかの点で問題が残ってるけど、結構面白い考え方が随所にあって興味深いです。

何、数年ぶりとな? [実感]

さて、もの凄く久しぶりにこっちを使うのには訳があって。と言うかMixiに入れない人用なだけ。

年明けにでっかいチーズを買ってもらったはいいがもてあましており、チーズケーキを定期的に作ることにした。
前回ロイヤルミルクチーズケーキの成功に気をよくして今回はマンゴーチーズケーキに挑戦。
HI390001.JPG

材料はこんなモン。マンゴーなる果実を調理するのは初めてでちと緊張。
ぱっくり二つに割ると、でかい種。三枚におろすといいらしいが、知らないよぉそんなこと。
マンゴーまみれになりながらとにかく果肉を削ぐ。
桃に近い感じだなと安易に考えたのがいけなかった。

気をよくしたまま残ったチーズと普段使いのバターの撮影。塩気が台に必要なので普通のバター。
でもバターはやはりカルピス。これを使うともう帰れない。
HI390003.JPG

できあがった。トロピカルな味がほんのりして、家族にも大好評。
HI390007.JPG

本体部分
チーズ200g
フィリピンマンゴー2(かなり小振り)
生クリーム100g
ゼラチン10g(一般的レシピの倍近いけどここ重要、やはりこれだけ入れても固まりが鈍い)
レモン果汁 大さじ2
砂糖 45g


台の部分
ビスケット適量
バター適量

台はビスケットを砕いて溶かしバターで練って、型にしいておく。
本体はマンゴーをピューレ状にする。チーズはレンジで2分ほど温める。砂糖とレモン果汁を混ぜて溶かしておいて、ゼラチン以外全部を一気に文明の利器(ジューサー)で攪拌。
攪拌が済んでからボールに移し、ゼラチンをお湯でといて混ぜ入れ、そのまま型に流し込む。
冷やす。8時間は冷やしたい。

型に流し込んだ頃から妙に手が痒い。?何事と思い一応よく手洗いをしてから、アレルギーとかを調べる。
…マンゴーって、漆の仲間だったのね。漆にはかぶれるんでそれは仕方ないなぁと納得。
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